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気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

『レディ・バード』「十代=恥かき時代」のクロニクル

どこにでもいるような女子の、高校生活を描いた青春映画

 

レディ・バードを観てきました。

 

 

この作品、昨年のアカデミー賞6部門にノミネートされてます。

その割には比較的地味な公開ですが、大変良い映画でした。

 

 

物語のはじめに「主人公が名乗りをあげる」

というパターンがありますね。

 

吾輩は猫である。名前はまだない」

これは日本で一番有名な小説の書き出し。

 

海外のものでは

 

「わたしのことはイシュメールと呼んでもらおう」

大作『白鯨』の書き出しです。

これも有名。

 

この映画では、

冒頭、自分の進路のことで母親と大ゲンカして、

走っている車から飛び出す(!)というシーンのあと

 

 

主人公クリスティンは、こう宣言します。

「これからはあたしのこと、『レディ・バード』って呼んでね」

 

 

※ 車飛び出しでピンクのギプスの主人公とその友人。さえないふたり。

 

 

そう、高校生の彼女は、今までの自分やその生活が

「窮屈」「退屈」と感じており、

その「垢抜けない」カラから抜け出したくて仕方ないんです。

 

※ 彼女が住んでいるのは「サクラメント」というアメリカの地味な地方都市

 

 では『レディ・バード』という呼び名はカッコイイのか。

疑問です(笑)

 

クラス女子の頂点にいる女の子と友達になりたくて

 

 

「ねえ、面白いものを見せるから放課後付き合って」

「いいわよ。…ところで、あなた誰だっけ?」

 

 

レディ・バード

 

「…へんななまえ」

なんて言われてしまう(笑い)

 

 

十代のころというのは

古い友人をつまらなく感じたり、

自分をよく見せたくて、

ミエを張り、知ったかぶりをして、

 

結局、あたらしい「勘違い」のカラをかぶってしまう。

 

※ 金持ち女子に「自分の家」と嘘をついた邸宅

(本当はボーイフレンドのおばあちゃんの家)

 

やることなすこと

ああ、実にみっともない!

 

見ていてもう「イタタタ!」となる。

 

主人公の迷いや失敗、

それは、私にも

本当に覚えがある!!

 

 

けれど、彼女は決して「引っ込み思案」ではないのです。

 

魅力的なクラスメート、

ステキな男子、

面白そうな部活、

自分の進路など

 

自分が強くあこがれ

まだ手に取れない「果実」に、

果敢に手を伸ばすんです!

 

※ バンドをやってるクールな男子

 

声をかけ、その状況に自分の足取りで入っていく。

望む大学には、成績点数が足りないとわかると、

なんとクラス全員の成績記録を

盗み出して捨ててしまう(!)

 

 

また、「おしつけ」や「おしきせ」の道徳が大嫌い。

 

部外講師の道徳臭い講話の時間。

「良心」「善意」

そういう否定しにくいものを

無神経に押し付けてくる。

あまりの図々しさにうんざりして、

暴言まがいの正論を吐き

まわりを凍りつかせてしまい

 

 

停学になってしまったりする。

 

※ 高校はカトリック

 

けれど、そこで

思いもかけぬ理解者

応援者に出会ったりもする。

 

 

そんな彼女の、

高校最後の一年間が描かれます。

 

そこには

自分の未来をなんとかして切り開こうとする

熱意のういういしさがあるのです。

 

 

これは脚本・監督のクレタ・ガーウイグの自伝的な作品とのこと。

 

※ この女性。うーん、カッコイイ!

 

それとですね、

レディ・バードという呼び名を、

友人や家族はもちろん、学校までが、

その意思を尊重して受け入れるのですね。

 

日本では考えられないことですよね。(※)

 

 

非常にトートツなのですが、

かつて、日本の高校生であった私が、

ここで思い出すのは忌野清志郎のことです。

 

彼は、この名前を中学の頃思いついて、

(実際このネーミングセンスは、中坊のラクガキレベルだと思います)

今後、自分は「忌野清志郎」であるとまわりに宣言して、

 

そして死ぬまで、その名前の人物だったのです。

 

 

なんと馬鹿げて、

自由で、

かっこいいんでしょう!!

 

 

ではまた。

 

 

※ 私より少し上の、坂本龍一新宿高校)とか忌野清志郎日野高校)などが通っていたころの都立高校は、本当に自由だったようです。

庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」には、日比谷高校の春のクラス替えは、グランドに教師が旗を持って立ち、生徒が自分の担任を選ぶと書かれています。(もっとも主人公は、これを「先生と生徒が結託して行うインチキ行事」と言っていますが)

当時の公立の進学高校には全体にこういう傾向があったらしく、私の叔父の通っていた京都の鴨沂高校では、クラスが集まるのはHRだけ、あとはそれぞれ自分の選んだ授業に分かれてしまう。しかも、校門はずっと開けっ放しで、生徒はいつも出入り自由だったと言います。

 

今ではこうしたことは、どの高校でも行われておらず、せっかく「私服」だったのに、生徒の希望で「制服」に戻ったりしています。(娘の通っていた都立高校も私服だったのですが、娘は「なんちゃって制服」を持っていました)

 

なお、当時の都立高校の雰囲気を味わいたい向きには、羽仁進の「午前中の時間割」という映画をオススメいたします。

 

ああ、久しぶりに私も観てみたいな。