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気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

七夕の夜の「あがた森魚」、そして父の一周忌

七夕の夜

 

 

本郷の「求道会館」というところで、「あがた森魚」のライブがありました。

 

 

ここは、仏教の教えを伝えるための「教会」

明治の建築です。

 

この七夕ライブは、

宮沢賢治」にちなんだもの。

仏教の信仰の厚い賢治は、

東京に進学した妹「トシ」が入院したとき、ここを訪れたそうです。

 

 

建物の中は、正面に据えられた「仏壇」以外は、

まるでキリスト教の教会のようです。

 

ちなみに「求道会館」の「求道」は、

仏教だから「ぐどう」と思っていましたが、

「きゅうどう」と読むのだそうです。

 

これを建てた「近角常観」は、仏教の刷新を目指し、

ヨーロッパで建築を学んだ「武田五一」に建築を依頼したとのことですから、

読み方にも「脱仏教」の意識が現れているのでしょう。

 

仏壇の下に映っているのは、

「クリスタルボウル」と呼ばれる、

水晶の粉を焼き固めて作った楽器。

叩いて音階を奏でるだけでなく、

ふちを擦ると驚くほどの音量の「倍音」が発生します。

 

今回はその演奏者「牧野持侑」さんとの競演でした。

「うお~ん」「うお~ん」と、いくつもの倍音の重なり合いが、

建物を満たしました。

 

あがた森魚、七〇歳。

かっこよかったですよ。

 

 

ちょっと、ゲンズブールに似てました(笑)

 

 

我が儘なまんま歳を経た不良男の顔。

 

始まってからも、しばらくの間だらだら。

ギターを爪弾きながら、ずーっとしゃべってる。

 

言い加減、歌わないのかなあと思っていたら、

 

「そうだ。今思いついたんで…予定になかったけど、いいかな?」

と、マイクを離れ、僕の座ったすぐ横の位置まで来ると、

 

春の嵐の夜の手品師」を歌い始めました。

 

いきなりのことに驚いて、息が詰まり、あやうく涙が出そうになりました。

 

 

それで思い出したのが、

10年ほど前に観た、あがたのドキュメンタリー映画

 

 

キャンピングカー1台で、全国の小さな小さな会場を回る。

で、行く先々で歩き回っては、

ニコニコ上機嫌でいろんな物を買ってくる。

狭い車内は、小物でギッシリ。

 

見かねたスタッフが苦言を呈する。

「あがたさん。もう本当に置くところがないんですよ。

買い物はいい加減にしてもらえませんか」

いやー、あがたは怒りましたねえ。烈火のごとく怒った。

そして鬼の形相でこう言い放ちました。

 

「勘違いすんなよ! この旅はなあ、『俺の旅』なんだ!! そんなこと、お前に言われる覚えはない!」

 

自分の心の大事なものに、前触れもなく素手で触れられた、

その無礼さを叱りつけたと言えばいいんでしょうか。

 

この強烈無類の自意識。

「あっぱれ」大したものです。

 

またまた連想話になってしまうんですが

あがた森魚と先ごろ亡くなった遠藤賢司

僕にはこのふたりはとても似ていると感じられるのです。

 

 

心の中心に、まるでブラックホールみたいに強大な「内省力」を抱え込んでいて、

それに飲み込まれることもなく、むしろその裏返しのひりひりした活力で生きている。

フォークシンガーとしてのデビューでしたが、気質は最初っからロック!

 

あがたの世界は、

宮沢賢治」「稲垣足穂」など幾何学系の文学寄り

 

※ 天体望遠鏡を覗き込むタルホ

 

一方、エンケンの大好きな芸術家は「岡本太郎


 

 

ふたりはシンパシーを持つひとたちへの応援歌も歌っており

 

あがたが歌うのは

自分を誤魔化さずストレートに感情を出すため誤解されてしまう人たち

内田裕也」や「沢尻エリカ」など

ただ、歌詞を聞いても、

あがたがどの辺にシンパシーを感じているのかはよくわからない(笑)

 

 

 

エンケンの方はと言うと

元祖失踪スキャンダル歌手、「青山ミチ」の「ミッチー音頭」のカバーを手始めに

 

 

相撲からプロレスに転向した「輪島」を歌った「輪島の瞳」

(これは15分~30分かかる大作です。

歌詞は「プロレスは八百長だ、などとわかった風なことを言うヤツを、俺は信じない」「たとえ動きがドタバタであっても、真剣さが人を感動させる」

「輪島、君が受けた痛みは、君にしかわからない」など、胸に響く金言多数)

 

そして、井上陽水から「お前もがんばれ」と上から目線で言われた

自分自身の怒りを歌い上げた「不滅の男」

などなど、敗者復活、ルサンチマンの傾向が強いです。

 

前にアップしたエンケンの追悼記事「エンケンが死んだ」

https://ameblo.jp/showa-angura/entry-12357393874.html)に

 

あがた森魚のバンドの女の子をかっさらって、結婚してしまったエンケン!」

と書きましたが、

「あがたとエンケンだったら、そりゃあエンケンでしょう」

という妻からの意見。

 

「え、…なんで?」

「いや、男性としての魅力とかいう話じゃなくて、

エンケンもそりゃあもう面倒くさいひとに決まってるけど、

あがたの大変さと比べればねえ…」

なるほど、女性は「もしいっしょに暮らしたら」という視点を持っているのですね。

 

この日、あがたは「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」を歌ってくれました。

 

※美しき佐藤敬子先生は、ケモノ臭い山羊のミルクを飲ませようとした

 

※ その手に噛みついたあがた少年

 

現在「佐藤敬子先生を探して」というドキュメンタリーを制作中とのこと。

 

 

あがたのドキュメンタリーは面白いですからねー、楽しみです。

 

 

 

翌日は、父の一周忌でした。

 

昨年の四十九日の帰りは、ジムジャームッシュの「パターソン」を観ましたが、

 

 

今年、帰りに観たのはこれ

 

 

赤ん坊の時に誘拐され、20過ぎになるまで軟禁されていた男性が、

救出後も、誘拐者に見せられていた「ブリグズビーベア」という幼児番組に固執し、

自分でその映画版をつくるという話。

 

稲垣足穂が「芸術とは、幼心(おさなごころ)の完成ではないでしょうか」

と名言を吐いていますが、

 

まあ、それとは関係ない映画でしたね(笑)

 

ではまた