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気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

「東京シューシャインボーイ」進駐軍ソングと細野晴臣の作品群

話のきっかけは、またまた『犬ヶ島』なんですが、

 

あのヨーコ・オノが「オノ・ヨーコ」の名前で声優として登場する場面。

 

※ 歳を重ねてもカッコイイ!

 

「犬インフルエンザ」のワクチンを一緒に開発した教授が「毒わさび」の鮨で殺され

彼女がバーで飲んだくれているシーンで、こんな曲が流れます。

 

※ こちらは地味な「犬ヶ島」のオノ・ヨーコ

 

「サーサ皆さん 東京名物 とってもシックな 靴みがき

 鳥打ち帽子に 胸当てズボンの 東京シューシャインボーイ 」♪

 

※ 喧騒から逃れた理科系のバー

 

靴みがき」は日本の戦災孤児たちが得意とした仕事です。

 

※ 異国から来たレディの靴を磨く、東京シューシャインボーイたち

「鳥打ち帽子に胸当てズボン」なんて「東京キッド」みたいな服はもちろん着ていません。

 

そしてこの歌にある

「雨の降る日も風の日も」通ってきて

「チョコレート」などをくれる「赤い靴のお嬢さん」

それは多分、当時「パンパン」という蔑称で呼ばれた、

米兵の相手をした女性たちだと思われます。

 

※ 鈴木清順の『肉体の門』(64年)で描かれた世界です。

 

「空襲で死んじゃったけど、…あたいにもあんたみたいな弟がいてさ」

きっとそんなドラマもあったのでしょう。

火垂るの墓』(88年)の兄妹が死んだ、その後に現れる物語です。

 

 

さて「東京シューシャーンボーイ」(51年)という曲は

ロバートアルトマンの『M☆A☆S☆H マッシュ』(70年)という映画でも

強い印象を残しました。

 

この映画は朝鮮戦争(50年~53年)の野戦病院を背景にしているのですが、

映画公開当時のベトナム戦争(64年~75年)を思わせる「血生臭さ」と

 

 

成熟した女性の「エロっぽさ」を両立させた

 

※ 後で「ホットリップス」と呼ばれることになる女性

 

大好きなコメディです。

 

私はDVDの他にこんなサントラも持っているんですが、

このサントラがちょっと変わってる。

 


ここには、音楽はまともな形では入っていません。

そのかわりに、映画の中の台詞と効果音が盛りだくさんに入ってます。

そしてそのセリフの合間に、コマ切れ状態で、バッカみたいに明るく元気な「奇妙な日本語の歌」が入ってるんです。

 

「東京シューシャインボーイ」なんかも

暁テル子による正規の録音ではありません。

 

 

「とりうちぽーしに むねあれずろんの」なんて怪しい日本語の

進駐軍キャンプで活躍した日系二世が歌う「バッタモノの歌」が流れるんです。

 

「マ・ッ・シ・ュ」の野戦病院のラッパスピーカーからは

そんな「植民地音楽(クレオールミュージック)」が絶えず流れていて

それが、前線(死線)から少しだけ離れた場所(野戦病院)が持つ、

いつも浮足立っているような、「特殊な興奮状態」をうまく表していました。

 

 

そんな音楽を集めた、こんなCDがあります。

「エキゾチック ジャパン

オリエンタリズム イン オキュパイド ジャパン(占領軍下の日本)」

 

中の解説で、中村とうよう氏は、これを「進駐軍ソング」と呼んでいます。

 

 

さてさて、エキゾチック、オリエンタリズム

こういう世界となるとどうしたって出てくるのが、

はっぴいえんど」(69年~72年)解散後、

YMO」(78年~80年)以前の細野晴臣氏です。

 

 

『トロピカルダンディ』(75年)には、「チャタヌガ チュー チュー」や「北京ダック」(オリジナル曲)などが入っていましたが

 

 

続く『安泰洋行 ボンボヤッジ』(76年)ではその世界を全面展開!

「香港ブルース」や「サヨナラ」のほか

「東京シューシャインボーイ(靴みがき少年)」ならぬ「東京シャイネスボーイ(はにかみ少年)」というオリジナルも。

 

もう、たまらないほど居心地がよくって、この世界にずーっと浸っていたい!

 

 

そしてそのあとの「はらいそ」(78年)は、もう一つ話題に上らない盤なのですが、

 

※ アートワークも、前二作の八木康夫氏のイラストから、

横尾忠則風のコラージュ」に変わってしまって、

どこか大胆さに欠けています。

いっそ横尾氏本人ならよかったのに…

 

これは「ハリー細野&イエローマジックバンド」という名義で、

この後に細野氏は「イエローマジックオーケストラ」を結成して、

テクノの方に行ってしまいます。

 

で、この盤には、ティーブ釜萢氏の”日系二世風発音ボーカル”の

「ジャパニーズルンバ」が入っているのですね。

これがもうー、たまらない味わいなのです!

 

では、なぜこの作品が前二作のような評価を得られないのか。

 

実はこの作で細野氏は「アルファ」という新しいレコード会社に移籍していて、

その音は最新でキレイで、そして雰囲気がどこか物足りないのです。

山下達郎氏によれば、前二作のあの独特の味わいは、

クラウンというレコード会社の古い録音機材の手柄が大きいらしい(笑)

 

※ それで、「ハリー細野 クラウンイヤーズ」(07年)というボックスも出ていますが、クラウンには未発表の音源がまだまだ眠っているらしい。

 

 

さてさて、あいかわらず「わらしべ長者」的な話の流れですが、

そのティーブ釜萢氏はジャズ畑の人で、

かまやつひろし氏のお父上です。

 

※ ふたりで「ファーザー&マッドサン」(71年)という盤も残しています。

 

かまやつ氏は

「細野君にはずっと『オヤジのアルバムを作ってくれ』と言ってたんだけど、

なんだかんだと結局逃げられちゃって」と語っています。

 

そんな細野氏ももう70歳。

最近のアルバム「HoSoNoVa」(ヨーコ・オノも参加)や

 

 

『Vu ja DEヴジャデ』では

 

 

かつての懐かしい世界にまた戻ってきています。

 

特に『Vu ja DEヴジャデ』収録の「寝ても覚めてもブギウギ」はたまりません。

大衆音楽のおいしいところ、

中毒性のある独特のクセのある節回しで、

何度も聞きなおしてしまう。

 

何なのでしょうかこの魅力。

 

まさに「イエローマジック」だと思うのです。

 

 

最後に、色川武大氏が二村定一の「アラビアの唄」について書いた文章を

上げさせてもらいます。

 

 

♪ 砂漠に陽が落ちて夜となるころ

   恋人よアラビアの唄を唄おうよー

 

というような歌詞で、詩も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。

誤解されると困るが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来上がったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたくなるような気分にさせてくれる。

私にいわせれば、唄というのはこういうものであってほしい。(中略)

それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい。(中略)

とにかく、そういう「アラビアの唄」を、二村定一なる人物が、これはまたこれ以上望めないほど屈託なく、声を張り上げて退廃的にうたっているのである。
 

 

 

この喜び、わかる人にはわかりますよね。

 

 

長々とお付き合いいただきありがとうございます。

 

では、ごきげんよう