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気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

「シェイプ・オブ・ウォーター」感想 「王子を救うシンデレラ」あるいは「水と指」の映画

話題のギレルモ・デル・トロ監督の

シェイプ・オブ・ウォーターを観てきました。

 

  

今回のアカデミー賞では

「作品賞」をはじめなんと4部門の受賞(※7)となりました。

 

この監督の作品は、これまで

ミミック」「パンズ・ラビリンス」「パシフィック・リム」の3本を観ています。

といっても、同じ監督の作品だということを、今回初めて知ったのですが(笑)

 

私はちょっとクセのある作品は、基本的に観るようにしているので、

こうしたことはままあります。

 

それにしてもこの3本、

フィールドとしては「怪奇・特撮」分野で同じであるものの、

撮られた手法は全く異なっています。

 

最初の「ミミック」は、人の姿に「擬態する」(※1)昆虫という怪作。

映画館に飛んで行きました。

 

 

つぎに観たのは「パンズ・ラビリンス

スペイン内戦という厳しい現実と少女の見る恐ろしいファンタジーとが交錯して、

表現として一番強烈でした。(※2)

十代で観たらトラウマになったんじゃないでしょうか。

 

 

そして「パシフィック・リム

これは日本の漫画家「永井豪」からの影響も露わな(※3)

巨大ロボットが怪獣から人類を守るという映画で、

日本の特撮ファンも興奮させました。

 

 

そんな具合に、やり口は違いますが三作品とも「何じゃこりゃ!」と、

思わず身を乗り出す(あるいは顔をそむける)部分があり、

作ろうとする表現に躊躇なく大胆に踏み込んでいく、

そんなオタク的な「確信犯」気質が、この監督の特質なのでしょう。

たいへん好ましい(笑)

 

さて、今回の作品。

 

舞台は少し昔。

1960年代、ソビエトと対立している冷戦下のアメリカです。

主人公の女性イライザは、国の研究センターで清掃員として働いています。

住んでいるのは、古るーい映画を上映している古るーい映画館の上の部屋。

彼女自身、もう若くはありません。

 

貧しくも健気に働く娘「イライザ」

そう聞いてすぐに思い浮かんだのは、

あの「マイフェアレディ」の主人公

貧しい花売り娘のイライザでした。(ああ、オードリー・ヘップバーン!)

 

 

そう、この物語もあの作品と同様、

「シンデレラストーリー」と思ってよいと思います。

 

 

ある日、モップを手に働く彼女の前に、

運命の王子さまが現れます。

けれどその状況は、

彼が「王子さま」であることなど「誰ぞ知る」という状態。

いえいえ、王子さまは魔法使いに「蛙にされた」のではありません。

なんと彼は、アマゾンの奥地で捉えられた

「半魚人」だったのです。

 

 

一方、ヒロインであるイライザは、

口がきけないというハンディキャップを持っています。

そうなんです、これも童話「人魚姫」と同じ設定。

イライザは幼いころに受けた虐待によって、

声帯が損なわれているのです。

(ですから、聴覚に異常はありません)

 

口のきけない年配お掃除娘のイライザと、

囚われの奇怪なクリーチャーである半魚人。

このふたりは、まるで童話の主人公たちのように、

やがて心を通わせ始めます。

 

というところで、

少しだけ映画全体の構造を考えてみたいと思います。

 

この作品で、まず印象的なのは、その色彩です。

上のイライザの画像でもお分かりのように、登場する白人系の人物の肌は、みなきれいな桜色をしています。

人物だけではありません。全体の色調が、ミュージカル全盛時代の「テクニカラー」を思わせる色彩設計なのです。

このハートウォームかつノスタルジックな色合い。

近年の作品では、「ラジオデイズ」などのウディアレンの映画に近い雰囲気です。(※4)

 

 

童話の登場人物たちが、「童話的」に自分の人生を生きるように、

テクニカラーミュージカル映画では、人々はミュージカル的に行動します。

 

そう、恋するイライザは、囚われの王子さまを助けようとするのです。

 

そして彼女の熱意は、しだいに周りの「善意の人たち」をも巻き込みながら、

半魚人を救出する生き生きとしたドラマへと発展していくのです。

 

はい。この映画はまるで歌のないミュージカルのようです。

「マイフェアレディ」では、オードリーのイライザは、

貧しかった生活を抜け出して、

自らでさえ無自覚だった「願望」をかなえた夜には、

「踊り明かそう!」と高らかに歌いながら、

私たち観客とともに、幸福な爆発を迎えました。(※5)

 

 

今回のイライザも、シンデレラとして階段を駆け上がりながら、

ある時点で、観る者とともに、正にミュージカル的な爆発を迎えるのですが、

それは観てのお楽しみ♪

(暗い観客席のあちこちで、解放感に満ちた笑い声が聞こえました)

 

さてさて、「シェイプ・オブ・ウォーター」は題名通り、「水」の映画です。(※6)

海中に始まり、

研究所に持ち込まれる金属タンクや設置されたガラス水槽、

沼のような飼育プール、アパートの浴室、そして歩道に、窓ガラスに、

さまざまな表情をみせる雨。

主人公は人魚姫と半魚人。

全編にわたって水浸し。

観客もずぶぬれです。

 

そしてこの作品は、「指」についての映画でもあるのです。

映画が始まって早々、朝バスタブに浸かる主人公の指は、自らを慰めています。

浴室を出ると、指は髪をとかし、通勤用の靴を磨き、職場でモップを握ります。

 

 

声の出せない彼女のコミュニケーション手段は「手話」、

そしてその指で他者の肩や腕に触れること。

 

 

雨の日のバスの座席で、窓ガラスに踊るように流れる雨水を追う、

彼女の指の動きの優雅さ。

 

 

うっとりするような場面です。

 

そして、血に汚れた研究所のコンクリートの床で、

清掃中の彼女は切断された他人の「指」を拾い上げます。

 

そのおぞましい「指」は、この物語の悪役の持つ指です。

 

 

指はフランケンシュタインのようにいびつに再生され、

警棒や鞭を握るとサディスティックに王子を苛み、拳銃で人を脅します。

さらには、裏切り者の血まみれの銃創をその指でえぐるなど、

目を被いたくなるほど残虐の限りを尽くします。

 

その裏で、彼の指は膿み、嫌な臭いをたて、変色し、

最後にはもっとも無残な形で体から離され捨てられます。

この映画、そういう部分は「フィルム・ノワール」的で、

徹底して容赦がありません。

 

 

一方、ヒロインの手の指は、やさしく王子の肌に触れる。

「指の接触」が持つ意味、それが単に哀れみやいたわりだけではないことを、

観客は、最初のバスタブのシーンで理解しています。

こうして、イライザという女性が異形の半魚人と肉体的にも結ばれることを、

私たちは納得してしまうのです。

(いやあ、ギレルモ・デル・トロ監督、うまいものです)

 

以上のように、この作品は、ヒロインの「ミュージカル的」な幸福に踊る指

(それは純真なものですが、現実的な力は持っていません)と

悪役の「フィルム・ノワール的」な残虐非道な指

(それはいびつで汚れていますが、現実的なパワーを持っています)

との、闘争の映画、と見ることもできそうです。

 

そうして最期に観客は、

海中深くへとヒロインとともにゆっくりと墜ちていきながら、

彼女の足の指先から、

その通勤用の靴がふわりと脱げ落ちるのを見た時、

足かせを取られたような、

えも言われぬ解放と幸福とを感じることになるのです。

 

大変いい映画です。

 

観る人を選ぶ作品ではありますが、ぜひご覧ください。

私も三度目を観る予定です。

 

 

 

※1 余談ですが、昔関西に「トリオ・ザ・ミミック」という漫才トリオがいました。「三人併せて物真似300種類」がうたい文句でした。

ミミック=擬態。なるほど!

 

※2 文字通りの「ダークなファンタジー

異文化から暗いトンネルを通って現れた作品、あるいは

そもそも我々とは信じている「神」が違う、

「異教徒」が見た夢のように感じられました。

 

※3 以下、ちょっとオタク的な「注」になります

(興味のない方はパスしてください)

巨大ロボットの嚆矢はもちろん横山光輝の「鉄人28号」であるわけですが、

その発展形である永井豪のは、リモコンではなく、人がロボットに乗り込んで操縦します。

初期は操縦桿でしたが、次第にエスカレート。

人の動作にロボットが従う方式となり、やがて「完全一体化」となりました。

何が怖いと言って、「一体化」の状態で、ロボットの腕や頭が落とされること。

影響を受けた「エヴァンゲリオン」でも「パシフィック・リム」でもそうした場面があります。

 

さらに余談ですが、「エヴァ」の「プロテクターと見えていたものが、身を護る”防具”ではなく、実は溢れる力を抑え込む”拘束具”だった」というエピソードの元ネタも、永井豪にあります。

バイオレンスジャック」という作品(ロボット物ではありません)で、

ジャックに敵対する「スラムキング」は常に、鋼鉄製の重い鎧兜を身に付けている。

けれどそれは防具ではなかったのです。

キングの極度に発達した筋肉は、放っておくと自分の内臓を破り骨を砕き、自らを絞め殺してしまう。

だから彼は、鎧や兜で自分の筋肉の力を「常に外に向かわせておく」必要があったと。

ギレルモ・デル・トロ監督も永井豪の大ファンらしく、サインをもらって無邪気に喜ぶ写真をみたことがあります)

 

※4 ウディアレンの映画は「戦中」の話なので、「ラジオ」が家庭の中心でしたが、この作品は「戦後」ですので、リビングの中心には白黒の「テレビ」があり、馬がしゃべる「ミスター・エド」など、日本の我々にも懐かしい番組が流れます。

そういえば、今回主演のサリー・ホーキンスは、ウディアレンの「ブルージャスミン」に、”気はいいけど男にだらしない異母姉”の役で出ており、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされています。

※5 田舎の男子高校生だった私は、その高揚する場面でオードリーと一体となり、「今夜はもう踊り明かしたい!」と観客席で身をよじったものでした(笑)

そしてその心の疼きは、実は今も体の奥に残っています。

ミュージカル映画恐るべし。

 

※6 「パシフィック・リム」の怪獣たちも海底から現れます。

そして都市を襲う夜は大雨でした。この監督「水浸し」が好きなようです。

 

※7 これでギレルモ・デル・トロ監督もやりたい映画が撮りやすくなる。めでたいことです。ただ言わせてもらえば、「スリービルボード」が主演女優賞だけというのはあまりに残念。あの映画、何度も「えっ?、そっちにハンドル切っちゃだめだろ!」という方にあえてハンドルを切る。そして行き止まりかと見える状況からさらに話を弾ませ、ストーリーを繋いで見せる。見事なものです。さらに言えばこの映画は、人はいったい何に納得し、そして共感するものであるのか、その根本に触れていると感じさせました。せめて「脚本賞」は「スリービルボード」が取るべきだった、そう思いました。