Movies,Musics,and More

気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

イエルク・ミュラーの絵本「変わりゆく農村」

先に書かせてもらった、京都三月書房の宍戸さんが、生前

河原町から「丸善」がなくなってから、京都の町がおかしくなった」と言われたとか。


丸善は、一階フロアで、輸入雑貨や衣類なども扱っていたハイカラな店で、

扉を入ると、自然と背筋を伸ばしてしまう、そんな書店でした。

毎年秋には、洋書のフロアで「世界の絵本展」を開催していて、

今回紹介する絵本、「変わりゆく農村」もそこで目にしたものです。

 

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この絵本は、年月を経て変わって行く村の様子を、

三年置きの時間を隔てて、定点観測で捉えています。


町に新しい建物が出来てしまうと、

そこに以前何があったのか、思い出せなくなってしまいますよね。

新たに出現した景観は、遡ることを許さない、奇妙な力を持っている。

ましてや再開発などで町自体の形が変わってしまうと、

永く持っていた印象も、そこにまつわる思い出も、遠く消え去ってしまいます。


その点これは絵本ですので、前後にページをめくることで、

あたかもタイムマシーンのように、

過去へ、未来へと、自由に時間を行き来できる。

そんな絵本です。

 

 

畑の真ん中に、サイロのような細長い形の三階建ての建物が建っています。

近くに農道がはしり、小さな池の水は小川となって流れている。

木が四季の表情を見せてくれる。

この風景が少しずつ、しかし決定的に変わっていきます。

景色は変わっても、そこには常に新しい人々の生活がある。

 

そして、一度消え去ったものは二度と帰らない。

そのことの残酷さも、この絵本は私たちに静かにおしえてくれます。

 

 

丸善で、この本のページを初めて繰った時、時間を行き来るする不思議な感覚に、私はめまいがする思いでした。

 

欲しくてたまらなくなったのですが、洋書だから学生の身にはかなり高価。

さんざん迷った末に

「まあ、これだけの作品なのだから、探せばいつでも見つかるだろう」

そう思ったのが百年目。

以後全く目にしない。

 

ネットの世の中になり、絵本コミュで質問しても

「ああ、バージニア・リー・バートンの「小さいお家」ですね」と返事されてしまう。

 

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※うーん。確かに似ている。でも、私の探している絵本は、

ただ絵だけで表現しており、ストーリーはないのです。

 

 

その後、ようやくこの絵本を知っている人に出会いました。

(そして、その方から、どの絵にも、必ず小さく白い猫が描かれていていることも、教えていただきました)

 


作書「イエルク・ミュラー」は他にも「移りゆく街」など同様の定点観測もの、

そして「ぼくはくまのままでいたかったのに」という絵本も描いています。

傾向として文明批評的な作品が多いようです。

 

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僕が丸善で見たのは、見開きで細長い絵を見せる形式の本でしたが、

その後手に入れたのは、ご覧のようにそれぞれが独立した7枚の絵を箱に入れた物。

横幅は1メートルあります。これがオリジナルの形なのでしょう。

 

そのうち、アクリルの額に入れて飾り、半年に一回交換するというのをやってみたい。
でも、一巡するのに三年半かかってしまいますね。

 

丸善は、「梶井基次郎」が「檸檬」という作品で、

店内で洋書を山のように積み上げ、そのてっぺんに、

まるで「黄色い爆弾のように」檸檬を置いた。

と書いたその場所でもあります。


基次郎が檸檬を買ったのが、三月書房のすぐ側にあった「八百卯」です。

私が学生のころはいつも店頭に、誇らしげに檸檬を出していましたが、


そこもいつの間にか閉店してしまいました。