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気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

「RAW 少女のめざめ」 ホラー映画の過去と進化形 メタファーとしての映画

「RAW 少女のめざめ」を観てきました。

ホラー映画です。

 

 

 以下、多少「ネタバレ」を含みます。

 

まず、ざっと内容を説明します。

 

大学に入学して学生寮に入った主人公の少女

新入生歓迎のイベントで、先輩たちにムリやり生肉を食べさせられ

(彼女はベジタリアンです)

それをキッカケに「人喰い」に目覚めていくという、

かなりむちゃな話。

ちなみに「RAW」とは生肉のことです。

 

私はまだ「怪奇映画」「恐怖映画」と呼ばれていたころ(※1)

からの「ホラー映画」好きです。

 

 

 

今日では、昔と比べものにならないほど、ホラーを楽しむ人口が増えましたね。

 

種類も「ホラー」で一括するのが難しいくらい、様々なものがあります。(※2)

 

「今回は、どんな切り口で『ホラー』を見せてくれるんだろう」

私は、いつもそんなワクワク感で映画館に向かっています。

 

さて、見終わった感想。

この作品についてはいわゆる「ホラー」とはだいぶ異なった印象を持ちました。

それは「良い意味で」なのですが。

 

そうはいっても、この作品、残酷描写などはかなりの激しさです。

グロテスク方面が苦手でない私でさえ、何度か顔をそむけ、

「だから…それはやっちゃダメだって!」と、組んだ指に歯を立てていました。(笑)

カンヌ映画祭では、5分ものスタンディングオベーションがあったと報じられる一方、嘔吐する人、失神して運ばれる人が出たということでも話題になったようです。

 

 まあ、あちらはキリスト教文化圏ですからね。

 

では、ストーリーに沿いながら感想を。

 

 

主人公の少女ジュスティーヌは16歳。

とてもかわいくて、頭も良い。彼女を愛する両親からは「神童」なんて呼ばれており、

飛び級で獣医大学に入学します。

 

人里離れた場所にある大学は、広い敷地にたくさんの動物を飼育しており、

学生は全員が寮暮らしです。

 

新入生を集めての歓迎イベントは、かなり意表をついた野蛮なもの。

期待と不安で羊の群れように固まっている新人の頭上から、

大量の動物の血がブチまけられ(※3)、挙げ句に生肉を食わされる。

 

 

医大の先輩たちから施される「通過儀礼」というわけです。

実際、その後に見られる実習授業の光景は、

何匹も並んだ大型犬の死体を全員が解剖していたり、

牛の肛門に肩まで腕を差し込んで大量の糞を搔き出すといったもの。

 

それまでペットくらいしか直接に動物に接してない新入生には、

相当高いハードルでしょう。

 

つまりその手荒な歓迎も、

一挙に環境に慣れさせる「ショック療法」の意味があるわけで、

見ていてギリギリですが、イジメが主眼ではないのでイヤな気分にはなりません。

 

そして、主人公の口にむりやり生肉(ウサギの腎臓)を押し込んだのは、

同じ大学に通う彼女の姉です。

 

 

姉は主人公と全く違うタイプ。

積極的でクール。髪形やファッションもパンキッシュでカッコよい。

 

親元で過保護に育ち、優等生の良い子である妹を嫌っているかに見えます。

姉は、自分のセクシーな服を妹に着せ、

酒と煙草に乱れるパーティーに連れ出して、とまどう彼女をあざ笑います。

 

 

また授業では、担当教授から

「君のような優秀な学生がいると、

普通の学生たちが、自分の努力を無駄なもののように感じて、脱落者さえ出てくる。

私は君が悪い成績を取ることを望むね」

などと言われてしまう。

 

それまでの自尊心をうち砕く散々な新生活の中で、

主人公は食べた生肉のせいかアレルギーを起こします。

 

肌は荒れて、皮膚がはがれるほど。

 

※こんな「解釈」を書くと嫌がる人がいそうですが、これは、古い自分の殻を脱ぎ捨て、新たな自分に生まれ変わる「脱皮」を意味していたのでしょう。

 

 そして彼女の「肉志向」が目覚めるのです。

 

母親譲りのベジタリアンだったのに、

学食でソースまみれのハンバーグを手づかみして、白衣のポケットに万引き。

夜、寮の自室の冷蔵庫をこっそり開けて、

同室者(ゲイの男性です)が買っておいた生鶏肉にかじり付く。

 

そして彼女の嗜好は、人肉へと駆け上がります。

 

 

ここで言ってしまいますが、

主人公の「人喰い」は少女の性的な欲望の「メタファー(比喩)」なのですね。

 

こんな風に書くと、

さっきの「脱皮」といい、何やら文学的でしゃらくさい解釈と思われそうですが、

日本題に「少女のめざめ」とあるのはそういう意味でしょうし、

性的な欲望の「メタファー(比喩)」であることは、監督自身が「そうだ」と明言しています。

 

ただ、構造としてうまいと思うのは、

この映画の中で、「SEX」それ自体も、「人肉食」とは別に存在していることです。(主人公も途中で初体験を済ませます)

 

 何故かと考えてみたのですが、

つまりSEXというのは、みんなが考えているほど「個人的」なものではない、

そういうことだと思うのです

 

SEXは社会性の強いものであり、こどもの頃からだんだんと学習していくもの、

そして他人と比較されるものですらある。

そうでなければ、夫婦の「セックスレス」が、

社会問題として語られることなどないはずですよね。

 

これに対して「人喰い」は、

主人公個人の胸に突如芽生えた、正体不明の欲望です。

それは、うしろめたく、抑制が効かないほど激しく、

戸惑う彼女を振り回し、暴走します。

 

十代の性衝動って、そういうものではなかったでしょうか。

 

さて、 ここでもうひとつ特筆しておきたいのは、

「姉」の存在です。

あぶない環境に主人公を引っ張り出し、情け容赦なく放置してしまう、

メフィストフェレスのような姉。

 

ある日彼女は、妹に強制して「ムダ毛」の処理をしてやるのですが、

そこで突発事故が発生します。

 

 

事故自体は偶然なのですが、

そのあとの妹の行動のせいで、結局姉は指を失ってしまいます。

もちろん彼女は激しく怒り、どなり散らし、

果ては噛みつきあって血まみれの大ゲンカもする。

 

 

けれどだんだんと、姉の妹への心情が見えてきます。

 

酔っ払ったふたりが雨の町にくりだし、

姉が突然ジーンズをおろして立小便をして見せる。

そして、妹にもやってみるように迫ります。

妹はうまくできなくて、ジーンズを濡らしてしまう、

大笑いしてジーンズをおろしたままの妹を引っ張りまわす姉。

つられて笑ってしまう妹。

 

青春映画として突き抜けた、開放感のある良いシーンでした。

 

のちに姉は、指の欠けた手を妹に向けて突き出し、

クールに笑ってみせます。

かっこいい!

 

 そう、この映画、激しい残酷描写が続く中で、

こうしたシーンが印象に残るのです。

 

そして笑ってしまうところも多い。

私も映画でかなり笑う方ですが、隣の席で観ていた外国の方は、

残酷描写にタメイキをつきながらも、

ずっとクスクスケラケラと笑ってました。

 

そんな風に、この作品、

「ホラー」としても「青春映画」としても実に良くできています。

 

「メタファー」だ何だと理屈は抜きにして非常に面白く、

本当に色んな見方が可能です。

 

ただ、例えば、映画の冒頭にこんなシーンがあります。

 

 

田舎の街道を女性(主人公)が歩いているロングショット。

彼女は走って来た車の前に突然飛び出す。

避けた車は街路樹に激突する。

 

彼女はそれを無視してまた歩き出す。

大変印象に残るシーンです。

 

あとで、実はこれは、

姉が妹の前でやってみせた行動であったことがわかります。

けれど、その行為に、いったいどういう意味があるのか、

結局説明されることはなく、解釈は観客に委ねられます。

 

 

これなどは、

「これは何かのメタファーなのではないか」

そういう見方も取り入れないと

なかなか理解しにくいのではないでしょうか。

 

そしてこうした特殊な内容に対して、

主演のギャランス・マリリエをはじめとした出演者たちが、

表層的なストーリーとは別に、

「人喰い」が少女の性的な欲望の「メタファー」であることを理解して、

裏で揺れ動く感情を全身で捉え演じていることが、

観る者にちゃんと伝わってきます。

 

そのことが、この作品に、ホラー映画でありながら、

その枠を越えた魅力と説得力を与えていると感じました。(※4)

 

 

このフランス女性が、監督のジュリア・デュクルノー

長編はこれが第1作目だそうで、これからが楽しみです。

ちなみに、彼女にも少し年の離れた「姉」がいるのだそうです。

いいな(笑)

 

 

 

※1 児玉数夫氏の「妖怪の世界」(68年)これが当時、

唯一出ていた恐怖映画の専門書籍でした。

 

 

あとは洋書店でホラー映画の写真集などをながめて、渇きをいやしておりました。

だから石田一氏の「ムービーモンスターズ」(80年)が大阪のプレイガイドジャーナル社から出たときは、びっくりするやらうれしいやら!

 

 

解説はホラーのフイルムコレクターとしても有名な喜劇俳優芦屋小雁氏!

小雁氏のことは、小林信彦氏がエッセイに

「未見の恐怖映画について小雁さんに話したら、

「あなたが観たい程度のフィルムは全部持っているので、

事前に言ってもらえれば自宅で上映してお見せします」と言われた」

と書いてました。

昔のマニアはスゴイ。

(ちなみに兄の芦屋雁之助氏はミュージカル映画のコレクターです)

そんな石田氏も今では鬼籍のひと。年齢は私の一つ下でした。

 

※2 「呪われたジェシカ」(71年)「コレクター」(65年)「何がジェーンに起こったか」(62年)など、かつて「ニューロティック(神経症的)」と呼ばれて特殊な傾向とされていた作品群がありました。現在はむしろその分野の作品が増えていると言えます。

 

  

 

「怪物」や「化物」ではなく、本当に怖いのは「人の心」

そう主張して、あの「羊たちの沈黙」以降に繋がる作品群です。

 

そして最近のもう一方の傾向が、多様化した「ゾンビ」物でしょう。

 

「イット・フォローズ」(15年)は、

その呪いにかけられると化物が現れて殺されるという話。

化物はゆっくりと歩いて近づいて来ますが、その姿は自分にしか見えません。

化物から逃れるには、誰かとSEXをして呪いをその相手に移すしかない。

面白いアイデアですが、現れる「化物」の姿は結局ゾンビです。

 

 

スナッチャーズ・フィーバー 食われた町」(16年)は、

小さな町の人々が、姿はそのままに、少しずつ化物と入れ替わっていく話。

父に病院に連れてこられた少女が「この人、お父さんじゃないんです」と小声で助けを求めてくる。

つまりは「ボディスナッチャーズ 盗まれた町」の変形なのですが、

その化物の姿が、やはり結局「ゾンビ」。

 

 

※3 映画的記憶として、ブライアン・デ・パルマの「キャリー」(76年)を思い出すシーンです。でも、幸いああいう悲惨さはありません。

 

 

ちなみに原作の「キャリー」(73年)はホラーの王者スティーブンキングのデビュー作。

日本では75年に翻訳が出ました。

「海外の新しい文学」という地味な紹介のされ方でしたが、映画のヒットで一転してメジャーに。

 

 

※4

昔、アンディ・ウォッホールが監修し、ウド・キアが主演した2本のホラー映画がありました。

フランケンシュタイン物の「悪魔のはらわた」とドラキュラ物の「処女の生血」(共に74年)

(注:似た日本題ですが、サム・ライミのデビュー作は「死霊のはらわた」(81年))

 

 

 「悪魔のはらわた」は本国では赤青メガネの3Dでも公開されたようです。

また、「処女の生血」はケッサクで、

主人公の吸血鬼は代々続く貴族のため、処女の血しか体が受け付けない。

けれど近代になって処女はなかなかいない。

すきっ腹をかかえて、ようやく「この少女は!」と思ってうっとりとかぶりつく。

けれど、少しして拒絶反応を起こしてげろげろ吐いてしまう。

残念、処女ではなかったのです(笑)

 

 

これなどは、社会構造の変化に伴う貴族階級の没落の「メタファー」、

と言うよりも「パロディ」ですね(笑)

 

そして「パロディホラー」の最高傑作は、

メル・ブルックスの「ヤングフランケンシュタイン」(74年)!

 

 

これについては、話したいことが山ほどあるのですが、

長くなったので、ここらへんで。