「散歩する侵略者」感想(後編) 宇宙人VS長澤まさみ
さて、本編の感想です。
今回、「黒沢清」の奇妙さの説明で、少しだけ「ネタバレ」を含んでいます。
ご注意ください。
先ず作品の設定をざっくりと。
三人の宇宙人が侵略の斥候として、地球(日本)に来ている。
彼らの役割は「家族」「仕事」「自分と他人」「所有」などの、地球人の『概念』を収集すること。(収集後は、一挙に人類を滅ぼす予定)
ちなみに、脳から『概念』を奪われると、人は痴呆化したり、逆に生き生きしたり。人によって様々です。
主役①は、意識を宇宙人に乗っ取られた男(松田龍平)とその妻(長澤まさみ)
主役②は、若い男女の姿をした宇宙人と、彼らに「ガイド」として雇われたジャーナリスト(長谷川博己)
感想前編のコメントに、「観る価値ありか?」とありました。
これは非常に難しい問題ですね。
「黒沢清」ですからね(笑)
私は面白く観ましたけれど、途中で席を立つ人もいました。
ネットの評価もバラバラ。
問題はですね、
ストーリー(脚本)と役者たちの演技の方向、
そして監督が「映画」として良しとする映像、
その三つにあえて整合性を持たせていないことではないかと思います。
ピアノの右手と左手が勝手に動いて、常識的な「和音」を奏でない。
観ていて、変なところ、突っ込みどころは満載です。
例えば、
国が早くも異変を察知して、密かに動いているのはまだしも、
なぜかいきなり街中に軍隊まで現れるとか。
病院に頭がおかしくなった人
(これが、それまで映像として表現してきた「概念を奪われた人物像」とは全然違う。一般的なパターン化した「狂人」)
三人の宇宙人の地道な活動と社会への影響とに、明らかなズレがある。
けれど、軍隊や群衆パニックの出現により、
「映画の動き」は、強くそちらの方へ引っ張られていく。
挙句には、ガイドになったジャーナリストは、無人の軍用機による空爆(!)を受けたりする。
この絵柄と緊張感はヒッチコックの「北北西に進路を取れ」のあからさまな引用なわけですよね。
でも観ていて、すごくワクワクしてしまう!
😊
こんな風に、観客の意識は「あれ、おかしいだろ?」とは感じるのだけれど、
結果としては「映画として大きく動いた」方向を了として受け入れて、突き進んで行ってしまう。
だって、そこには映画的な快感が確かにあるんだもの(笑)
そういうギャップやズレを乗り越えて、「映画的快感」に身を委ねてしまえるかどうかで、観客の評価が分かれると思います。
黒沢清は、「映画的とはいったい何なのか」と、これを確信犯的にやっている。
さてさて、今回の作品の勝因はですね、長澤まさみさんにあると思います。
失礼ながら、長澤さんは、演技のレンジのあまり広くない(浅くはありません)女優さんだと思うのです。
その演技の質は、間違っても「観念」になど、横ズレ、横モレいたしません。
足はいつだって、しっかりと彼女の地(くどいけれど広くはない)を踏みしめてる。
だから今回、観客はスクリーンに彼女の姿を見ると、まるで母親が現れたかのように安心するのです。
長澤まさみは、夫「しんちゃん」を庇い守り通します。
夫が「俺、実は宇宙人なんだ」と告白し、
彼女もそれを一応わかっている。
悪い病気を受け入れるかのように。
宇宙人の夫は、現実的には、役立たずの木偶の坊で足手まとい。
地に足がついた妻の長澤は、その都度
呆れたり、毒づいたり、叱りつけたりします。
そして、最後の最後にとことん追い詰められた時、彼女は
「やんなっちゃうなあ、もう!」
と、車に夫を乗せ、ナント人類を敵に回して逃亡するのです。
ラスト近く、黒沢映画のお約束、スクリーンプロセスを使った、古風で不思議な光の車中のシーンの後。
場末のラブホテルに逃げ込んだ時の彼女など、見ていてもうドキドキです。
着の身着のまま逃げているので、汗の匂いさえ漂ってくるようで。
服一枚脱ぐわけでなく、キスさえしないのに。
なんとまあエロチックなこと!
宇宙人🆚長澤まさみ
結果は、長澤まさみの勝ちでした。
しかし、映画ってすごいな。