Movies,Musics,and More

気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

『きみの鳥はうたえる』

ひさしぶりに映画にやられてしまいました。

 

 

きみの鳥はうたえる

 

 

終わってしまうだろう「若さ」

そのなかにいる

三人のストーリーです。

 

 

いっしょにアパートに暮らしている男ふたり

「フリーター」と「無職」

 

 

フリーターの男は「バイト先の女」と付き合い始め

 

 

女がアパートに遊びにきたのをきっかけに

無職の男もまじえて三人で夜ごと遊びまわる

 

 

ぐすぐずと酒を飲み

クラブで騒ぎ

ビリヤード、卓球、ダーツにと興じる

 

 

心の奥にはそれぞれ

ぬけないトゲみたいに

問題をかかえている

 

直視すれば、重くなってしまうトゲ

 

 

 

あらわにすること厭い

おいつめることを避ける

 

「そんなことをしてもなにも変わらないよ」とうそぶく

 

 

函館の町

お気楽で楽しい夏の生活

終わるのなら終わればいい

ただそれまでは日々を笑ってくらす

 

 

 

さてこの作品、

いい歳した男女が

まともに仕事にもむきあわず

社会的な責任も放棄して

ふらふら遊んでるだけ

 

 

映画としてもこれといったストーリーもない

観終わって

「だから?」

「それがどうした」

そんな反応もあるようです

 

 

でもさ

いいじゃん

こういうの

おぼえがないか

だれしも

そんなもんじゃん

 

あのエンケンも『輪島の瞳』で

 

 

「プロレスはショーで八百長だから なんて偉そうに言うやつに限って

何もわかっていない これからもきっとわからない

だって他人に毎日 ニッコリこんにちわ 

お世話になってます どうかよろしくなんか頭を下げて

毎日八百長ショーのくせに 

毎日八百長のくせに

他人の八百長を けなすやつなんか俺は信じない

 

本気で生きてるやつなんかいたら 俺はお目にかかりたい

本音で生きるってことは 死んじゃうってことだよ」

 

 

 

さてさて

 

かれら三人にも「気分」みたいな

自然にうまれた「ルール」があって

 

 

気持ちにできるだけ素直であること

 

嫌なこと、ムリなことをしない

相手にも強制やソクバクをしない

 

そうして

ながれるままに「自由」を消費していると

 

 

なんとなく空気がうすくなる

 

 

だんだん

すこしずつ

 

 

苦しくなっていく

 

自由が重くなり

しらずに胸につもり

 

突然迎えるラストシーン

 

関係がこわれて終わるのかと思ったら

主人公はそれを乗り越えようとする

 

 

これにはやられました。

 

映画がぷつんと終わり

タイトルバックが流れだしたとき

一番端に座っていたおじさんが小さく拍手をしました。

 

 

ながながと読んでいただいて

ありがとうございます。

なんとなく気になった方はぜひご覧ください。

 

近年の収穫だと思います。

 

主役の三人がとても良いです。

 

 

それと、萩原聖人が、バイト先の店長として出ていて

たったひとり、言い訳もせずに「大人」を引き受けています。

 

すこし腹の出たその体形とあいまって、

あの「萩原聖人」が!

と、ちょっと涙物でした。

 

 

 

ではまた

 

久しぶり!錦糸町の『河内音頭』だあ

いよいよ9月

季節はすっかり秋ですが、

 

先週、8月の末のまだまだ暑い日

 

『すみだ錦糸町 河内音頭大盆踊り』!!

に行ってきましたあ~

 

※ 見上げるばかり「赤提灯のホリゾント」のステージ

 

※ 今回でなんと37回目です

 

 

オモテはまだ明るい時刻

けど、提灯の灯りはもっと明るい

 

足がしぜんと速まります

 

※ 高速の高架下が会場

 

腹にずんっと来る太鼓の音と

エレキギターのかん高い音色とが

ひびいて来ます

 

※ テキ屋の屋台もズラリと並ぶ

 

へへへ、

適度に「やくざ」な、

よいムード♪

 

※ 会場の真ん中が「踊りエリア」

 

にこやかな踊りの輪の中に

 

※ 『マツコの知らない世界』ー日本の夏だから!盆踊りの世界ー

 

TVに出ていた「ド派手」なおふたりの姿を発見。

本場大阪からの参加です。

 

※ 狸のしっぽと耳ををつけたセーラー服おじさんも楽しそう。

 

※ おお、亡きエンケンの提灯も!「エンケンを紅白に」の文字が泣かせます。

 

いいなー、さすがは錦糸町

 

 

さて、肝心の「河内音頭」の説明を

 

少しさせてください。

 

 

河内音頭は、唄の部分語りの部分から成っています。

語りの演目は

 

紀伊国屋文左衛門

「番場の忠太郎 瞼の母

「花街の母」

 

など、浪曲浪花節と共通しています。

ルーツは同じなのでしょうね。

 

違うのは

楽器が三味線にプラス和太鼓で

リズムが縦乗りで跳ねること

 

 

三味線にエレキギターが加わり(現在ではエレキギターだけの場合も多い)

エレキベースやキーボードが入るときもある。

 

音の大きい派手なものはどんどん加えて発展していく、

 

物の本に、

河内音頭の音頭取りたちは、他の音頭取りとは「ちがえる」というところに、価値観の中心がある」

と書かれています。

 

 

※ 「物の本」と、我が家に伝わる「河内音頭本」

 

 

楽器のほかにも

バックコーラスに2人の「お囃し手女子」がいて

 

えんやこらせー どっこいせ

 だの

そらー よーいとこさっさのー よいやあさっさー

 

と合いの手を歌いながら、

 

 

 

一定のリズムで、団扇を上下

熱演中の音頭取りの

クーラー担当でもあります。

 

 

で今回、数ある出演者の中で、私が一番楽しめたのが

 

こちらの「永田充康」というひと

 

 

※ 前半が「○○尽くし」のお笑い、後半が「紀伊国屋文左衛門」の語り。

うしろの「お囃し女子」の団扇の動きにも、ご注意ください。

 

音頭取りなのに「○○家△△」といった芸名ではなく本名(たぶん)で櫓にあがる。

 

さらにユニークなのが

あご髭にドレッドヘアを縛ったちょんまげ頭。

実はこの方、日本屈指のニューオリンズドラマーとして評価が高いらしい。

 

※ 「ニューオーリンズ」とは、かの地のマルディグラパレードで演奏される

セカンドライン」と呼ばれるリズムを指します。

シンコペーションが特徴の、アメリカ南部の、やはりお祭りの音楽です。

 

 

私が、10年くらい前に錦糸町に来たとき、音頭取りのバックで、

ジャマイカのラスタマンみたいに

太い蛇のようなドレッドヘアを揺らしながら

 

語りの、聴かせどころには繊細に寄り添い

盛り上がりどころでは、どどーんと力強く!

緩急自在の絶妙な太鼓をたたいているこの方を見てびっくりしたんですが

 

ご自身が音頭をとる姿は、今回初めてみました。

 

また、そのスタイルが、太鼓のときとはまったく違う

 

最初に

「盆踊りは祖先の供養」とさらりと触れて

 

ヨイショオ ドオッ コオイ ショオイ

の掛け声から始まり

(これは「古い掛け声」と本で読んで知ってましたが、

実際に使われるのは始めた見ました)

「ないない尽くし」「かいかい尽くし」

(両方ともルーツである「江州音頭」から伝わったもの)

につなげて笑わせるという、古式ゆかしいほどの正当派ぶりに感心!

 

最後には、踊り手と観客にキチンと礼を述べ

「御恩は一生わすれません

 

わすれんうちに、また来ます」

とまたまた笑わせてくれました。

 

 

気分を良くして、帰りにTシャツを購入。

ビールでも飲もうと、「亀戸ぎょうざ」に行ったら

スゴイ行列だったので、残念ながらあきらめました。

 

この盆踊り大会、初期はこの近くの空き地でやっていて

(今は再開発されて空き地などありません)

小学生だった子どもを連れてきたものです。

 

 

 

さて、最後にもうすこしだけお付き合いください。

これは勝新太郎が歌う河内音頭

 

映画「悪名」シリーズ第6作「悪名市場」の一シーンです。

 

商店街を救うため、四国で開かれた親分衆の集まりに出た「八尾の浅吉」親分。

しかし親分衆にはチンピラ扱いを受けて相手にされない。

「裸踊りでもやれ」「八尾なら河内音頭を歌え」とからかわれる。

そこで…、という名シーンです。

 

 

 

 

これにはしびれましたねえ。

勝新映画にハズレなしです。

 

 

私がもってるのは『レーザーディスク』なんで、

 

 

そろそろDVDに買い替えようかな。

 

 

ではまた

 

 

 

 

フランス映画『若い女』、おもしろかったですー

若い女を観てきました。

 

※ 右目と左目の光彩の色が違ういわゆるオッドアイ

 

これが主人公なんですけどね。

 

31歳

もう『若い』とも言いかねる年令。

 

冒頭、10年つきあった恋人に捨てられます。

 

 

「あたしを部屋に入れろ!」と、

高級マンションの恋人の部屋のまえで大声をあげ

鉄のドアにドカンドカンと何度も頭突き!

「俺はお前の保護者じゃない」と、

ドアの向こうから恋人の声

 

腹いせに、外に出ていた恋人の猫をかっぱらって

夜のパリをさまよいます。

 

 

社会的にはなんの取柄もない。

 

10年間、

自分の「若さ」を、

剣と盾のようにあやつりながら、

RPGみたいな冒険の旅に出ていたのでしょう。

 

 

そんな勇者が突然、

世界のはじっこからすべり落ちて路頭に迷う。

 

 

疎遠だった母親のところに行っても拒絶され、

転がり込んだ友人にも

「悪いけど出て行って」と言われてしまう。

 

 

先を考えない生き方とはいえ、

それでも彼女は10年の間そういう生き方を通してきたわけです。

さて、ひとりになった今、

何があるのか。

 

もちろん、「キャリア」などない、

けれどその分

こういうタイプの女性特有のたくましさと、

反射神経と瞬発力があるのです(笑)

 

学生と偽り、住み込みのベビーシッターとして女中部屋を確保。

地下鉄で偶然出会った女性に、古い友人と間違われると、

その人物になりきって、お世話になったりする。

 

 

 

映画のチラシには「嘘つき、泣き虫、見栄っぱり」とあります。

 けれど、

彼女はそういうのとも違うんじゃないかと私には思えました。

 

彼女の「嘘」は、見栄ではないし、

相手をだましてやろうとしてつくのでもなくて

その場の「空気」の固さをやわらげるために、

軽く水たまりを飛び越すようにしてついてしまうのです。

水たまりの向こうには、

相手の笑顔とあたたかな手があるから。

 

だから、その相手が彼女の「偽り」に気づいて

「あなた誰なの?」

と、にぎっていた手を振りほどくとき

 

 

私たち観客は、彼女とともにひどく傷つきます。

 

そして、「10年」という歳月のツケを、

一瞬にして引き受けさせられる。

 

この映画は、

開けてはいけない「玉手箱の蓋」を開けてしまった

浦島太郎の、

その後のお話と言えるかもしれません。

 

ベビーシッターでも、

相手の女の子とは、まるで気の合う友達みたいに、

なかよくなってしまう彼女です。

が、母親に嫌われ、学生でないこともばれてしまう。

またしても「あなた誰なの?」です。

 

 

それでも生きていかなくてはならない浦島太郎(♀)は

精いっぱいの愛想笑いで面接を受け

 

 

ショッピングモールの巨大な下着屋で働き始めます。

耳に付けたイヤホンからは、絶えず指示がとんでくる。

激務のため、定着率がとても低い職場。

 

 

それでも、やがて気の許せる仲間もでき、

かつての恋人も心配して連絡してくる。

 

そして彼女の身に、大きな事件が起こり、

彼女はその後の生き方を左右する決断を迫られます。

 

 

彼女が最終的に選んだ道

それは決してハッピーエンドではないのですが、

 

それでも、

自分の人生を誰の手にもゆだねない、

という

今の彼女にふさわしいと思える道なのでした。

 

※ 彼女の額には、「頭突き」をした傷跡が、まるで「聖痕」みたいにずっと残っていて、それが妙におかしい。

 

 

この映画、私には とてもいい作品と感じました。

一方「こんな女カンベンしてよ」と感じる人も多いと思います

面白そうだなと思えるひとは、

ぜひ観てください。

 

 

それではまた

 

 

 

 

『夏休み』を自由研究

お盆の間、

妻の実家に行ってました。


 

田舎

 

「街」に出るバスもない。

「街」に出ても映画館もない。

 

何もやることがないので

 

 

今年廃校になった近くの小学校を散歩

 

 

もうすぐ取り壊されます。

 

 

歩きながら、

私も自分の記憶を探ります。

 

昼休みの校庭のブランコ、好きだったな。

 

 

よみがえる記憶

 

 

ねむっていた記憶

 

 

「あ、ここだわ」

 

よく「夢」にでてくる場所、

それを見つけたと

妻は言っていました。

 

 

で、

あいかわらずトートツですが

夏休みの課題図書というか、

夏にふさわしい推薦図書をご紹介します。

 

 

天沢退二郎

『光車よ、まわれ!』(73年)

 

※ 表紙と中の挿絵は司修の銅版画。

外箱の裏には「あらすじ」が(拡大してご覧下さい)

 

「ちくま少年文学館」の一冊

作者の天沢退二郎は、

「詩人」そして「宮沢賢治研究者」としても著名な仏文学者。

 

内容は、黒い水の世界からの侵略に対して、

小学生たちが三つの「光車」を集めることで対抗していく物語。

 

ひとがたぶん幼児期から

心の奥に抱えてしまう、

「根源的な恐怖」

それに、素手でふれてくるような

ダークファンタジーです。

 

※ 見返しには、少年たちが活躍する

街の「地図」が

 

この本が出たのは、私が浪人のころですが、

その当時小学校の図書館で借りて読み、

「トラウマ」になってしまったひとも

多いらしい。

 

身内のひとが急にいなくなったり、

人が死んだことを知らされたり、

暗い、怖い、

そして希望はあっても、

明確な救いや解決というものがない。

だけど、

読んでいるときの「ドキドキ感」は

ハンパではない!

 

文庫にもなっているので、

旅行鞄に放り込み

実家のヒンヤリとした廊下や

畳に寝転んで読めば

蝉の声とともに思い出す、

忘れられない夏になるはず。

 

※こちらは、かつての「ちくま」のシリーズを手本にしたと思われる「講談社」のシリーズ。

 

小野不由美「くらのかみ」(03年)は、

父の思惑どおり

夜寝床で寝る前に

読み聞かせてやった息子と娘の

「トラウマ」になってくれたようです。

 

もし「光車…」が気に入ったら、

「オレンジ党」シリーズもどうぞ。

 

 

そして、別役実の童話も強力に推薦。

 

※ 「コンセブリ島の魔法使い」(81年)

絵はスズキコージ

 

私見ですが、「コンセブリ島」の地下世界は、村上春樹「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(85年)の地下世界に影響を与えたのではと思っています。

 

ひとの意識の底に広がる地下世界。

その暗闇に潜んでいる

恐ろしいものは、

別役は「ウスラシロ」、

村上は「やみくろ」。

 

 

「怖さ」も、

故郷が抱えている

「豊かさ」のひとつなのではないか

そんな気がするのです。

 

 

ではまた。

 

『レディ・バード』「十代=恥かき時代」のクロニクル

どこにでもいるような女子の、高校生活を描いた青春映画

 

レディ・バードを観てきました。

 

 

この作品、昨年のアカデミー賞6部門にノミネートされてます。

その割には比較的地味な公開ですが、大変良い映画でした。

 

 

物語のはじめに「主人公が名乗りをあげる」

というパターンがありますね。

 

吾輩は猫である。名前はまだない」

これは日本で一番有名な小説の書き出し。

 

海外のものでは

 

「わたしのことはイシュメールと呼んでもらおう」

大作『白鯨』の書き出しです。

これも有名。

 

この映画では、

冒頭、自分の進路のことで母親と大ゲンカして、

走っている車から飛び出す(!)というシーンのあと

 

 

主人公クリスティンは、こう宣言します。

「これからはあたしのこと、『レディ・バード』って呼んでね」

 

 

※ 車飛び出しでピンクのギプスの主人公とその友人。さえないふたり。

 

 

そう、高校生の彼女は、今までの自分やその生活が

「窮屈」「退屈」と感じており、

その「垢抜けない」カラから抜け出したくて仕方ないんです。

 

※ 彼女が住んでいるのは「サクラメント」というアメリカの地味な地方都市

 

 では『レディ・バード』という呼び名はカッコイイのか。

疑問です(笑)

 

クラス女子の頂点にいる女の子と友達になりたくて

 

 

「ねえ、面白いものを見せるから放課後付き合って」

「いいわよ。…ところで、あなた誰だっけ?」

 

 

レディ・バード

 

「…へんななまえ」

なんて言われてしまう(笑い)

 

 

十代のころというのは

古い友人をつまらなく感じたり、

自分をよく見せたくて、

ミエを張り、知ったかぶりをして、

 

結局、あたらしい「勘違い」のカラをかぶってしまう。

 

※ 金持ち女子に「自分の家」と嘘をついた邸宅

(本当はボーイフレンドのおばあちゃんの家)

 

やることなすこと

ああ、実にみっともない!

 

見ていてもう「イタタタ!」となる。

 

主人公の迷いや失敗、

それは、私にも

本当に覚えがある!!

 

 

けれど、彼女は決して「引っ込み思案」ではないのです。

 

魅力的なクラスメート、

ステキな男子、

面白そうな部活、

自分の進路など

 

自分が強くあこがれ

まだ手に取れない「果実」に、

果敢に手を伸ばすんです!

 

※ バンドをやってるクールな男子

 

声をかけ、その状況に自分の足取りで入っていく。

望む大学には、成績点数が足りないとわかると、

なんとクラス全員の成績記録を

盗み出して捨ててしまう(!)

 

 

また、「おしつけ」や「おしきせ」の道徳が大嫌い。

 

部外講師の道徳臭い講話の時間。

「良心」「善意」

そういう否定しにくいものを

無神経に押し付けてくる。

あまりの図々しさにうんざりして、

暴言まがいの正論を吐き

まわりを凍りつかせてしまい

 

 

停学になってしまったりする。

 

※ 高校はカトリック

 

けれど、そこで

思いもかけぬ理解者

応援者に出会ったりもする。

 

 

そんな彼女の、

高校最後の一年間が描かれます。

 

そこには

自分の未来をなんとかして切り開こうとする

熱意のういういしさがあるのです。

 

 

これは脚本・監督のクレタ・ガーウイグの自伝的な作品とのこと。

 

※ この女性。うーん、カッコイイ!

 

それとですね、

レディ・バードという呼び名を、

友人や家族はもちろん、学校までが、

その意思を尊重して受け入れるのですね。

 

日本では考えられないことですよね。(※)

 

 

非常にトートツなのですが、

かつて、日本の高校生であった私が、

ここで思い出すのは忌野清志郎のことです。

 

彼は、この名前を中学の頃思いついて、

(実際このネーミングセンスは、中坊のラクガキレベルだと思います)

今後、自分は「忌野清志郎」であるとまわりに宣言して、

 

そして死ぬまで、その名前の人物だったのです。

 

 

なんと馬鹿げて、

自由で、

かっこいいんでしょう!!

 

 

ではまた。

 

 

※ 私より少し上の、坂本龍一新宿高校)とか忌野清志郎日野高校)などが通っていたころの都立高校は、本当に自由だったようです。

庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」には、日比谷高校の春のクラス替えは、グランドに教師が旗を持って立ち、生徒が自分の担任を選ぶと書かれています。(もっとも主人公は、これを「先生と生徒が結託して行うインチキ行事」と言っていますが)

当時の公立の進学高校には全体にこういう傾向があったらしく、私の叔父の通っていた京都の鴨沂高校では、クラスが集まるのはHRだけ、あとはそれぞれ自分の選んだ授業に分かれてしまう。しかも、校門はずっと開けっ放しで、生徒はいつも出入り自由だったと言います。

 

今ではこうしたことは、どの高校でも行われておらず、せっかく「私服」だったのに、生徒の希望で「制服」に戻ったりしています。(娘の通っていた都立高校も私服だったのですが、娘は「なんちゃって制服」を持っていました)

 

なお、当時の都立高校の雰囲気を味わいたい向きには、羽仁進の「午前中の時間割」という映画をオススメいたします。

 

ああ、久しぶりに私も観てみたいな。

 

 

 

 

七夕の夜の「あがた森魚」、そして父の一周忌

七夕の夜

 

 

本郷の「求道会館」というところで、「あがた森魚」のライブがありました。

 

 

ここは、仏教の教えを伝えるための「教会」

明治の建築です。

 

この七夕ライブは、

宮沢賢治」にちなんだもの。

仏教の信仰の厚い賢治は、

東京に進学した妹「トシ」が入院したとき、ここを訪れたそうです。

 

 

建物の中は、正面に据えられた「仏壇」以外は、

まるでキリスト教の教会のようです。

 

ちなみに「求道会館」の「求道」は、

仏教だから「ぐどう」と思っていましたが、

「きゅうどう」と読むのだそうです。

 

これを建てた「近角常観」は、仏教の刷新を目指し、

ヨーロッパで建築を学んだ「武田五一」に建築を依頼したとのことですから、

読み方にも「脱仏教」の意識が現れているのでしょう。

 

仏壇の下に映っているのは、

「クリスタルボウル」と呼ばれる、

水晶の粉を焼き固めて作った楽器。

叩いて音階を奏でるだけでなく、

ふちを擦ると驚くほどの音量の「倍音」が発生します。

 

今回はその演奏者「牧野持侑」さんとの競演でした。

「うお~ん」「うお~ん」と、いくつもの倍音の重なり合いが、

建物を満たしました。

 

あがた森魚、七〇歳。

かっこよかったですよ。

 

 

ちょっと、ゲンズブールに似てました(笑)

 

 

我が儘なまんま歳を経た不良男の顔。

 

始まってからも、しばらくの間だらだら。

ギターを爪弾きながら、ずーっとしゃべってる。

 

言い加減、歌わないのかなあと思っていたら、

 

「そうだ。今思いついたんで…予定になかったけど、いいかな?」

と、マイクを離れ、僕の座ったすぐ横の位置まで来ると、

 

春の嵐の夜の手品師」を歌い始めました。

 

いきなりのことに驚いて、息が詰まり、あやうく涙が出そうになりました。

 

 

それで思い出したのが、

10年ほど前に観た、あがたのドキュメンタリー映画

 

 

キャンピングカー1台で、全国の小さな小さな会場を回る。

で、行く先々で歩き回っては、

ニコニコ上機嫌でいろんな物を買ってくる。

狭い車内は、小物でギッシリ。

 

見かねたスタッフが苦言を呈する。

「あがたさん。もう本当に置くところがないんですよ。

買い物はいい加減にしてもらえませんか」

いやー、あがたは怒りましたねえ。烈火のごとく怒った。

そして鬼の形相でこう言い放ちました。

 

「勘違いすんなよ! この旅はなあ、『俺の旅』なんだ!! そんなこと、お前に言われる覚えはない!」

 

自分の心の大事なものに、前触れもなく素手で触れられた、

その無礼さを叱りつけたと言えばいいんでしょうか。

 

この強烈無類の自意識。

「あっぱれ」大したものです。

 

またまた連想話になってしまうんですが

あがた森魚と先ごろ亡くなった遠藤賢司

僕にはこのふたりはとても似ていると感じられるのです。

 

 

心の中心に、まるでブラックホールみたいに強大な「内省力」を抱え込んでいて、

それに飲み込まれることもなく、むしろその裏返しのひりひりした活力で生きている。

フォークシンガーとしてのデビューでしたが、気質は最初っからロック!

 

あがたの世界は、

宮沢賢治」「稲垣足穂」など幾何学系の文学寄り

 

※ 天体望遠鏡を覗き込むタルホ

 

一方、エンケンの大好きな芸術家は「岡本太郎


 

 

ふたりはシンパシーを持つひとたちへの応援歌も歌っており

 

あがたが歌うのは

自分を誤魔化さずストレートに感情を出すため誤解されてしまう人たち

内田裕也」や「沢尻エリカ」など

ただ、歌詞を聞いても、

あがたがどの辺にシンパシーを感じているのかはよくわからない(笑)

 

 

 

エンケンの方はと言うと

元祖失踪スキャンダル歌手、「青山ミチ」の「ミッチー音頭」のカバーを手始めに

 

 

相撲からプロレスに転向した「輪島」を歌った「輪島の瞳」

(これは15分~30分かかる大作です。

歌詞は「プロレスは八百長だ、などとわかった風なことを言うヤツを、俺は信じない」「たとえ動きがドタバタであっても、真剣さが人を感動させる」

「輪島、君が受けた痛みは、君にしかわからない」など、胸に響く金言多数)

 

そして、井上陽水から「お前もがんばれ」と上から目線で言われた

自分自身の怒りを歌い上げた「不滅の男」

などなど、敗者復活、ルサンチマンの傾向が強いです。

 

前にアップしたエンケンの追悼記事「エンケンが死んだ」

https://ameblo.jp/showa-angura/entry-12357393874.html)に

 

あがた森魚のバンドの女の子をかっさらって、結婚してしまったエンケン!」

と書きましたが、

「あがたとエンケンだったら、そりゃあエンケンでしょう」

という妻からの意見。

 

「え、…なんで?」

「いや、男性としての魅力とかいう話じゃなくて、

エンケンもそりゃあもう面倒くさいひとに決まってるけど、

あがたの大変さと比べればねえ…」

なるほど、女性は「もしいっしょに暮らしたら」という視点を持っているのですね。

 

この日、あがたは「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」を歌ってくれました。

 

※美しき佐藤敬子先生は、ケモノ臭い山羊のミルクを飲ませようとした

 

※ その手に噛みついたあがた少年

 

現在「佐藤敬子先生を探して」というドキュメンタリーを制作中とのこと。

 

 

あがたのドキュメンタリーは面白いですからねー、楽しみです。

 

 

 

翌日は、父の一周忌でした。

 

昨年の四十九日の帰りは、ジムジャームッシュの「パターソン」を観ましたが、

 

 

今年、帰りに観たのはこれ

 

 

赤ん坊の時に誘拐され、20過ぎになるまで軟禁されていた男性が、

救出後も、誘拐者に見せられていた「ブリグズビーベア」という幼児番組に固執し、

自分でその映画版をつくるという話。

 

稲垣足穂が「芸術とは、幼心(おさなごころ)の完成ではないでしょうか」

と名言を吐いていますが、

 

まあ、それとは関係ない映画でしたね(笑)

 

ではまた

 

「東京シューシャインボーイ」進駐軍ソングと細野晴臣の作品群

話のきっかけは、またまた『犬ヶ島』なんですが、

 

あのヨーコ・オノが「オノ・ヨーコ」の名前で声優として登場する場面。

 

※ 歳を重ねてもカッコイイ!

 

「犬インフルエンザ」のワクチンを一緒に開発した教授が「毒わさび」の鮨で殺され

彼女がバーで飲んだくれているシーンで、こんな曲が流れます。

 

※ こちらは地味な「犬ヶ島」のオノ・ヨーコ

 

「サーサ皆さん 東京名物 とってもシックな 靴みがき

 鳥打ち帽子に 胸当てズボンの 東京シューシャインボーイ 」♪

 

※ 喧騒から逃れた理科系のバー

 

靴みがき」は日本の戦災孤児たちが得意とした仕事です。

 

※ 異国から来たレディの靴を磨く、東京シューシャインボーイたち

「鳥打ち帽子に胸当てズボン」なんて「東京キッド」みたいな服はもちろん着ていません。

 

そしてこの歌にある

「雨の降る日も風の日も」通ってきて

「チョコレート」などをくれる「赤い靴のお嬢さん」

それは多分、当時「パンパン」という蔑称で呼ばれた、

米兵の相手をした女性たちだと思われます。

 

※ 鈴木清順の『肉体の門』(64年)で描かれた世界です。

 

「空襲で死んじゃったけど、…あたいにもあんたみたいな弟がいてさ」

きっとそんなドラマもあったのでしょう。

火垂るの墓』(88年)の兄妹が死んだ、その後に現れる物語です。

 

 

さて「東京シューシャーンボーイ」(51年)という曲は

ロバートアルトマンの『M☆A☆S☆H マッシュ』(70年)という映画でも

強い印象を残しました。

 

この映画は朝鮮戦争(50年~53年)の野戦病院を背景にしているのですが、

映画公開当時のベトナム戦争(64年~75年)を思わせる「血生臭さ」と

 

 

成熟した女性の「エロっぽさ」を両立させた

 

※ 後で「ホットリップス」と呼ばれることになる女性

 

大好きなコメディです。

 

私はDVDの他にこんなサントラも持っているんですが、

このサントラがちょっと変わってる。

 


ここには、音楽はまともな形では入っていません。

そのかわりに、映画の中の台詞と効果音が盛りだくさんに入ってます。

そしてそのセリフの合間に、コマ切れ状態で、バッカみたいに明るく元気な「奇妙な日本語の歌」が入ってるんです。

 

「東京シューシャインボーイ」なんかも

暁テル子による正規の録音ではありません。

 

 

「とりうちぽーしに むねあれずろんの」なんて怪しい日本語の

進駐軍キャンプで活躍した日系二世が歌う「バッタモノの歌」が流れるんです。

 

「マ・ッ・シ・ュ」の野戦病院のラッパスピーカーからは

そんな「植民地音楽(クレオールミュージック)」が絶えず流れていて

それが、前線(死線)から少しだけ離れた場所(野戦病院)が持つ、

いつも浮足立っているような、「特殊な興奮状態」をうまく表していました。

 

 

そんな音楽を集めた、こんなCDがあります。

「エキゾチック ジャパン

オリエンタリズム イン オキュパイド ジャパン(占領軍下の日本)」

 

中の解説で、中村とうよう氏は、これを「進駐軍ソング」と呼んでいます。

 

 

さてさて、エキゾチック、オリエンタリズム

こういう世界となるとどうしたって出てくるのが、

はっぴいえんど」(69年~72年)解散後、

YMO」(78年~80年)以前の細野晴臣氏です。

 

 

『トロピカルダンディ』(75年)には、「チャタヌガ チュー チュー」や「北京ダック」(オリジナル曲)などが入っていましたが

 

 

続く『安泰洋行 ボンボヤッジ』(76年)ではその世界を全面展開!

「香港ブルース」や「サヨナラ」のほか

「東京シューシャインボーイ(靴みがき少年)」ならぬ「東京シャイネスボーイ(はにかみ少年)」というオリジナルも。

 

もう、たまらないほど居心地がよくって、この世界にずーっと浸っていたい!

 

 

そしてそのあとの「はらいそ」(78年)は、もう一つ話題に上らない盤なのですが、

 

※ アートワークも、前二作の八木康夫氏のイラストから、

横尾忠則風のコラージュ」に変わってしまって、

どこか大胆さに欠けています。

いっそ横尾氏本人ならよかったのに…

 

これは「ハリー細野&イエローマジックバンド」という名義で、

この後に細野氏は「イエローマジックオーケストラ」を結成して、

テクノの方に行ってしまいます。

 

で、この盤には、ティーブ釜萢氏の”日系二世風発音ボーカル”の

「ジャパニーズルンバ」が入っているのですね。

これがもうー、たまらない味わいなのです!

 

では、なぜこの作品が前二作のような評価を得られないのか。

 

実はこの作で細野氏は「アルファ」という新しいレコード会社に移籍していて、

その音は最新でキレイで、そして雰囲気がどこか物足りないのです。

山下達郎氏によれば、前二作のあの独特の味わいは、

クラウンというレコード会社の古い録音機材の手柄が大きいらしい(笑)

 

※ それで、「ハリー細野 クラウンイヤーズ」(07年)というボックスも出ていますが、クラウンには未発表の音源がまだまだ眠っているらしい。

 

 

さてさて、あいかわらず「わらしべ長者」的な話の流れですが、

そのティーブ釜萢氏はジャズ畑の人で、

かまやつひろし氏のお父上です。

 

※ ふたりで「ファーザー&マッドサン」(71年)という盤も残しています。

 

かまやつ氏は

「細野君にはずっと『オヤジのアルバムを作ってくれ』と言ってたんだけど、

なんだかんだと結局逃げられちゃって」と語っています。

 

そんな細野氏ももう70歳。

最近のアルバム「HoSoNoVa」(ヨーコ・オノも参加)や

 

 

『Vu ja DEヴジャデ』では

 

 

かつての懐かしい世界にまた戻ってきています。

 

特に『Vu ja DEヴジャデ』収録の「寝ても覚めてもブギウギ」はたまりません。

大衆音楽のおいしいところ、

中毒性のある独特のクセのある節回しで、

何度も聞きなおしてしまう。

 

何なのでしょうかこの魅力。

 

まさに「イエローマジック」だと思うのです。

 

 

最後に、色川武大氏が二村定一の「アラビアの唄」について書いた文章を

上げさせてもらいます。

 

 

♪ 砂漠に陽が落ちて夜となるころ

   恋人よアラビアの唄を唄おうよー

 

というような歌詞で、詩も見事にナンセンスでくだらないが、曲もまた、エキゾチックの安物で、格調などはケもない。

誤解されると困るが、くだらなくて、安手で、下品に甘くて、この三つの要素が見事に結晶していて、出来上がったものは下品であるどころか、ドヤ街で思いがけず柔らかいベッドに沈んだような、ウーンと唸ってちょっとはしゃぎたくなるような気分にさせてくれる。

私にいわせれば、唄というのはこういうものであってほしい。(中略)

それが何故、命から二番目に大切なものになるのか、そう思わない人にはなかなか説明しにくい。(中略)

とにかく、そういう「アラビアの唄」を、二村定一なる人物が、これはまたこれ以上望めないほど屈託なく、声を張り上げて退廃的にうたっているのである。
 

 

 

この喜び、わかる人にはわかりますよね。

 

 

長々とお付き合いいただきありがとうございます。

 

では、ごきげんよう