藤田敏八が見ようとした一瞬の光「赤い鳥逃げた?」と「八月の濡れた砂」
今年は「藤田敏八没後20年」なんだそうです。
池袋の新文芸坐で、「赤い鳥逃げた?」と「八月の濡れた砂」を観ました。
何十年ぶりでしょうか。
私が最初に観たのは、確か18歳の時。
共に日活の末期の作品。
(やがて「日活」は「にっかつ」に、
「ニューアクション」は「ロマンポルノ」に変わります)
いや、「赤い鳥逃げた?」1本だけは、
日本映画の五社体勢が崩れる間際の特殊事情なのでしょう。
そして、たぶんその為に契約が複雑なのでしょう、
とてもいい映画なのに、今だにビデオにもDVDにもなっていません。
今回改めて見直して、
この二つの作品、非常に共通点が多いことに気が付きました。
というかむしろ双子みたいな感じです。
今を楽しむことしか知らない、兄弟みたいな二人。
そこに弟分の彼女(片や桃井かおり、片やテレサ野田)が絡んで、思わぬ方向に突っ走ってしまう。
若さを武器に、汚い大人を調子よく利用するつもりが、
彼らと関わることで、足をすくわれる。
それでも、大人から奪い取った車やヨットが、
自分たちの「独立共和国」のようになる。
けれどそれはいつまでも続かず、
やがてその狭さに窒息しそうになる。
全てを一瞬で破壊してくれる「猟銃」への偏愛。
その先に道はないことを承知の上で、
目は一瞬の光だけを追い求め、足は袋小路に躍り込む。
そんなこんなが、観る者の心を揺さぶりながら
軽快なリズムで描かれます。
『いつもこんな事をやってるの?そのうち酷い目に遭うわよ』
「八月の…」で、年上の女性にそう言われるのですが、
つまりはそういう話。
監督は、
若者たちを次第に追い詰め、酷い目に遭わせながら、
一方で、焦燥感に胸を焼かれつつ
「いつまでもこんなバカなことをやり続ける」
そのことに、熱く、肩入れする。
映画は若者たちの行動の形やその行方よりも、
むしろその瞬間、
目に映ったの光の眩しさを、
徹底して追っていきます。
ああ、影響を受けたなあ。
ジジイになったって、
変わらないものは変わらないよな、
そう思ったのでした。
ちなみに、「八月の…」のテーマは石川セリが
「赤い鳥…」のテーマは安田南が
それぞれ歌っています。
たまりません。