Movies,Musics,and More

気の向くままに、現在と過去のcultureについて綴ります。どうぞ、お気楽にお付き合いください。

「午後8時の訪問者」

 

 

 

 

良い映画でした。


妙な喩えですが

 

「50ポンドの肉」という注文に対して、

肉の塊からきっちりと

「50ポンド分の重さの肉」を切り出す。

当たり前なことを、当たり前に

真面目に努力する。

 

49でも、51でも、だいたいまあ

約50くらい。

それは、この社会を回して行くための了解事項です。

けれど「約」というエクスキューズは、

本来キチンと示されるべきでしょう。

 

しかし、往々にして無視される。

私たちは日々、見て見ないフリをして生活している。

そのことを気づかせてくれる作品でした。

 

要は”ハードボイルド”なんです。

 

 

主人公は小さな診療所を任されている女医。


ある夜、診療所の受診時間をとうに過ぎて鳴ったドアベルを、彼女は無視します。

翌朝、ドアベルを鳴らした少女は近くで遺体として発見される。


その罪悪感から、彼女は名前もわからない少女のことを調べ始めます。

 

 

 

彼女を「探偵」にしているのは

「自分の選択した対応が人の死に繋がった」

そのことに対する「責任感」です。

それは医師という職業を引き受け、

常時そのことを忘れない彼女が持つ、

思考以前の、いわば本能的な行動のように見えます。

 


彼女は少女の写真を持ち歩き

根気よく、地道に事実を調べます。

 

死んでしまった少女の、

50ポンド分の肉の輪郭を切り出そうとするのは

彼女の真剣なナイフです。

 

ナイフの鋒のラインは、決して彼女の「責任」の分を超えません。

きつく引いて49に削り落としてしまうことも、

弱さから51に膨らむこともしない。

 

例えば、恐い人たちに「余計なことをするな」と脅されると、

顔を強張らせて「わかりました」と答えます。

 


「探偵」活動と同等の時間を使って、

彼女の診療医としての生活が描かれます。
映像はリアルで、まるでドキュメンタリーのよう。

 

老人の大きな背中。

そしてそれに聴診器をあてる彼女の真摯な眼差し。
ひとりひとりの患者の

それぞれの人生の

揺るぐことのない重さが、

映像として提供されます。

  

 

また、一見単調に見えて、この映画、非常に情報量が多いのです。


移民問題(被害者の少女も、女医を脅す男たちもアフリカ系移民です)、

老いることの意味、親子関係、職業の選択、などなど、

派手さのない寡黙な画面に映し出されるのは、

それぞれの人生における

確かな肉の重さです。

 

 

 

 

 

自分が切り取ろうとしているのは、

「50ポンド分の肉」であることを、

最後まで彼女は守り通します。

 

犯人が目の前で犯行を自白しても、

その興奮を自分に向かって投げつけて来ても、

足を踏ん張って怯むことなく

けれど警察への通報は、本人に委ねる。

  

 

この映画、ネットの評価では星が少ないようです。

 

それはポスターなどで、配給会社がこの作品を

「ただのミステリー映画」みたいな宣伝をしている所為だと思われます。
で、エンターテイメントを楽しみに来た一般客に

「退屈して寝た」

「一度ドアベルを押されたくらいで、どうして熱心に調べるのかわからない」

などと、酷い評価を受けてしまっています。

 

 

この映画の魅力は、何と言っても主人公の女医なのです。


いつも同じ着古したコートを着ている彼女。

小さなナイフで一人分の食事を作ったり、

緊急を訴えて来る電話に対応するその動作。

自分や人の人生に向かい合う、

真っ直ぐで強い眼差し。

 

人は結局、どれかひとつを選ぶしかない。

人の弱さも、自分の弱さもわかっている。

 

一人暮らしの部屋で夜明け前に不安に目覚め、

窓を開けてタバコを吸う姿など、

もう痺れるほどに格好良い!

 

しっかりと生きる魅力的なひとを、

ストーリーに乗って2時間、ずっと眺めていられるこの幸せ。

 


ワタシは映画の神様に感謝いたしました。